主夫から国会議員へ

No.2「主夫から国会議員へ」

私は衆議院議員になる前の約9年間、主夫でした。

家事・育児など、本当にいろんな経験をしました。長女が2歳の時に下の双子が誕生。皆さん、ご想像の通り、双子の育児は大変。例えば授乳。凍らせた母乳を適温に溶かしてあげていました。もちろん深夜も。2~3時間おきくらいだったかな?2人交互に。妻は産後8週間で市議(当時)の仕事に復帰。十分な睡眠を取らせてあげたいと、夜中、私が授乳。哺乳瓶を持ちました。ゲップもさせました。

妻が県外視察などで泊まりだった時はもっと大変。ワンオペです。お姉ちゃんはまだ2歳。長男が鼠径ヘルニアだったので、何かの拍子に泣いてしまったら、その勢いで脱腸になってしまって、痛かったのでしょうね、更に泣き叫んで。落ちてきた腸をゆっくり優しく押してあげて戻すのですが、それが戻れば良いのだけれど、どうしても戻らない時場合は、放っておくと危険なので、小児医療センターに駆け込みました。夜中、長女と次男を抱えて。

今となってみれば、我ながらよく頑張ったなぁ~と思います。大変でしたけど、アッという間でした。今となっては良い思い出です、ホントに。※今、長女は高校生、双子は中学生です。(練)

2021年9月


No.1「初当選時の思い」

初冬の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。

第48回衆議院議員総選挙の投開票から1か月半が経ちました。当選が決まった直後から、とにもかくにも腹を括って衆議院議員という重責を全力で果たして行こうとすぐさま頭を転換させました。まさに重責。あれこれ考える余裕はなく前に進むしかない。そんな決意にすぐに至りました。

その後すぐさま、私が信頼のおける3人の旧知の皆さんに連絡を取り、私の秘書として活動をサポートしていただけないか、お願いをしました。おかげ様で皆さんそれぞれ快諾をいただき、一週間を待たずに衆議院議員髙木錬太郎のプロジェクトチームの陣容が固まりました。そんな信頼のおける秘書さん3人と一緒に、快晴の10月30日(月)、国会でのオフィスである衆議院第一議員会館304号室に入って行きました。いよいよ本格始動だ! そんな心境を昨日のように覚えています。

11月1日(水)、国会初登院。 雲一つない秋晴れの国会。身震いする気持ちを抑えながら、国会議事堂中央玄関の階段を一歩一歩踏みしめ院内に入って行きました。早速始まった委員会、党内の各種会議、来客対応、そして11月15日(水)天皇陛下をお迎えしての開会式。 次々に入る日程を連日こなしながら、11月17日(金)、安倍晋三内閣総理大臣所信表明演説の本会議に臨みました。

私の信念と政策、そして私だからできること。私は北関東ブロック(茨城・栃木・群馬・埼玉)における立憲民主党への多くのご期待によって議席をお預かりすることとなりました。そうした私が安倍首相はじめ政府与党にどう対峙していくか。それは自明です。 「まっとうな政治を取り戻す」ため、早く委員会で論戦を戦わしたい、そんな気持ちでいっぱいです。

多様性を認め合い、心温まる社会へ」 これが私の目指したい社会です。「保育士・幼稚園教諭・学童クラブ支援員の皆さんの処遇改善・給与引き上げ」 これが私の全力で取り組みたい政策の一つです。

主夫から国会へ」 こんな私でもできることはある。 こんな私だからこそやれることがある。 お預かりした衆議院の議席の重責を常に感じながら、謙虚に、謙虚に、国政に邁進していきます。

皆さま、今後ともご指導・ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。 

2017年12月28日(木)

髙木錬太郎拝